会葬記 [本源]
昨夜の通夜に続き、本日の葬儀・告別式に参列してまいりました。
出発前に、当課の総務担当係長に連絡を取り、課名(一同)で供花していないか確認のうえ、葬祭社に供花の手配を依頼しました(当然私費です。)。
電報は、読み上げられますので、バランスを考え、今回はやめておきました。
供花は、会場にそっと置かれるだけなので、ご遺族にだけ、私どもの気持が伝わります。また、供花はNTTではなく、葬祭社の利益となりますし。
早目に会場について、事務所で供花代の支払いを済ませ、受付で記帳していると、私を会社関係者と知った受付けの方から、弔電披露の順番を訊かれました。大事なことです。
焼香の順番も訊かれました。これも大切なことです。
さて・・・。
やりきれません・・・。
25歳でした。
後半、闘病中のスナップ写真が、何枚もスクリーンに映しだされました。
驚くべきことに、やつれ、顔つきにも病魔の翳がはっきりと見て取れるのですが、その表情が、なんというか、安らかというか、迷いがないというか・・・。
どの写真を見ても、その表情には、苦悶や苦悩や悲しみや無気力や絶望、そういったネガティブな感情の欠片も見て取れません。
穏やかな、しっかりとした目で、無垢とさえ言える目で、スクリーンのこちら側を見ています。
私が赴任したこの4月には、既に闘病中で、しかも、すぐに休職になったため、実際には何回かしか直接話をしたことがないのですが、涙が溢れます。
さすがに嗚咽はこらえました。
悲しみは大きい。
この有能で誠実な若者の大きな未来を奪ってしまった病魔が憎いという気持や運命の理不尽さを呪う気持も大きい。
しかし、私が感情を押さえ切れなかったのは、そんなことよりも、彼のその表情でありました。
それは、一種の悟りに近いものであったのかもしれない。
友人の弔辞。
それは、大人の弔辞としては異例に短く、しかし、率直な、故人ばかりかその友人自身の人間性もわかる素晴らしい言葉でした。言葉にならないものは、気持で聴き取れました。
出棺の際、霊柩車に棺が納められた瞬間、間髪を置かず、豪雨に襲われました。
庇の外側にいた私を含む数名は、この雨を避けきれず濡れてしまいました。
恐ろしいほどのタイミングで降り出した雨は、霊柩車とマイクロバスが火葬場に向けて出発すると同時にぴたりと止みました。
誰も疑わないし、誰も不思議には思わない。
よくあることだそうです。
昨夜はさほどでもありませんでしたが、日中に移動の本日は、復路、強烈な睡魔に襲われ、不覚にもゴール直前の桜島SAにて休憩を取ってしまいました。
同じルートを連日走れば、特に帰路は緊張感も切れるのでありましょう。
疲れました。
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