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人生劇場 [本源]

古賀先生、村田先生と書いて、ふと思ふ。

嗚呼、此れは「人生劇場」の組合せではありますまいか?

古賀先生が作曲を為さり、後には村田先生が熱唱されし、我が日本国の代表的魂唱歌也。

 

時世(とき)よ 時節は変ろとままよ

吉良の仁吉は 男じゃないか

おれも生きたや 仁吉のように

義理と人情の この世界

白秋先生と古賀先生は、郷里の先輩也。

村田先生は、節回しが性に合う。

 

やると思えば どこまでやるさ

それが男の 魂じゃないか

義理がすたれば この世は闇だ

なまじとめるな 夜の雨

 

古賀先生と村田先生では、「無法松の一生」がつとに有名である。

福岡生まれの古賀先生と、佐賀生まれの村田先生が行き着く、小倉の松五郎である。

 

ちなみに、古賀先生と三波先生の組合せがあること、ご存知や?

註 古賀先生:古賀政男氏  村田先生:村田英雄氏  

   三波先生:三波春夫氏  倉木先生:倉木麻衣師  


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コメント 2

Siva

人生劇場は、鶴田浩二の持ち歌だとずっと思っていたのですが、、
本家は、ムラタだ、の村田さんだったですかね?
人生劇場にしても無法松にしても、北部九州の人間には感涙ものですね。。
by Siva (2009-10-24 02:40) 

oosumidream

◎Sivaさん♪
お早う御座います。
「人生劇場」はフリー百科事典『ウィキペディア』によりますれば、1938年(昭和13年)に一度楠木繁夫という方によって歌われたようです。これは存じませんでした。
鶴田先生がお歌いになったことも存じ上げず、あたしにとって、「人生劇場」と言えば、あの村田先生以外は考えられないものでした。
あの、何と申せばよろしいのか、ちょっと鼻の詰まったようなあのお声にしびれた青春時代で御座いました☆
村田先生と言えば、ある宴にて部下と王将を歌いしものの、彼奴のあまりのひどさに、特訓のためカラオケ個室に半日ほど籠って鍛え上げたことが懐かしく思い出されます。
小倉には伯母(40年ほど前に他界)が嫁いでおりまして、ひときわ近しく感じるものがありました。
自分が松五郎の牽く人力車に乗っているような感覚で無法松の「かっど」(今で言う「活動写真」を当時、「かっど」と言っていました。)を見た覚えがあります。

by oosumidream (2009-10-24 07:05) 

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