裸足で砂利道ラン♪ [ウォーキング]
「BORN TO RUN」という書籍を購いました。
かなり破天荒な導入で、まだ55ページしか読み進めておりません。
本日、「Tarzan 2月24日号」を読んでいたら、64ページに、同書の内容を引用した前足着地走法のお話が載っておりました。
そのこと自体は兎も角、よく考えてみると、中学時代、一周2.1kmの一般道路周回コースを2周する長距離大会が年一回開催されていました。
本番もそうだったかよく覚えていませんが、少なくとも練習の時は、未舗装砂利道の残る県道・市道コースを裸足で走っていました。市内の舗装率が50%の頃、やっと馬車が見られなくなった頃です。
車も、小型のミゼットからオート三輪に変換していた頃、「かっど」が「映画」に、「おかじょうき」が「汽車」に変っていく頃です。
靴が買えないからではなく、そういう指導方針のもと、生徒全員が裸足で走っていました。
私は、尖った石の混じる砂利道では足が痛かった記憶がありますが、柔道部は、年中裸足で走っていたような気がします。
構内グランドの短距離は全て裸足だったように記憶しています。
それで足を怪我したという話は聞いたことがありませんでした。
中学時代ですが、校舎内でドスの刃を首に当てられたこともあります。
その頃は、刃物には慣れていたので、全く臆せず、引かなかった私でした。
相手が根負けして鞘に納めましたが、まだお互い信頼感を持っていたのだと思います。
こいつが俺の首筋を切るはずはないと確信できたのかもしれません。
当然、全く騒ぎ立てしていないし、親にも教師も言わないし、お互い普通に授業を受けていました。
今の時代では考えられないことですが、不思議なくらいに何のわだかまりも残らず、単なる日々のひとコマでした。
荒廃した不良中という評判を受けていた中学でしたが、このくらいに大らかな校風でありました。
ちなみに、私は、校内で友人と唯二人、クラブに入らず(制度的には許されない筈?)、石割り瓦割りに励んでいました。
友人は、石砕きの達人で、素手の拳で自然石を叩き割っていました。
私は残念ながら、瓦割りのレベルに留まっていました。
札付きの悪に思えるかもしれませんが、人を砕いたことは無いと思います。
ある時、その友人が簡単だよ、と言って勧めるので、渾身の力で石砕きに挑戦し、拳が内出血で腫れ上がり、さすがの私も医者に駆け込むという体たらく。
この時はちょっと堪えました。友人と私の格の違いを思い知り、ちょっと落ち込みました。
そこから、拳は諦めて、石壁に頭突きや脛で柱蹴りにのめり込むことになります。
ちなみに、友人は中学卒業後、暴力の世界に身を置き、非業の(ある意味本望の)死を遂げたという噂を聞きました。
私はその後さらに、ア式蹴球にのめり込むことになります。
沢村忠(キックの鬼)と釜本邦茂(日本史上最強のストライカー)、もし戦わば、などという他愛も無いことに胸をときめかせていた頃です☆
☆ 追記
刃物のくだりですが、決して金銭関係のトラブルではなく、彼の意地というか(自分では意識していなかったのですが)、昔の青春漫画みたいな、ま、そんなふうな些細で長閑なお話でありました。
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