鰻の思ひ出♪ [本源]
昔、鰻は父親が獲ってきた。
魚篭に入った太った鰻。
まな板に載せて、頭を突き刺して固定し、骨を抜いて捌いていた。
刃物を作るのが仕事だから、刃物の扱いも手馴れたもので。
土間にレンガを敷いて、竹串に刺して炭で焼いて素焼き。
後は甘露煮。
いや、そこまで煮ないが、きざらたっぷりの醤油で煮る。
所謂蒲焼とはちょっと違う。
これをご飯に載せて食べる。
しかし、鰻はめったには食べられぬ。
父親が獲らなくなってからは、近所に嫁いだ伯母の所に遊びに行き、連れ合いが獲った鰻が生簀(風呂とプールの間のような)で泳いでいるのを掴ませてもらった。
伯母はとても可愛がってくれた。
伯母の家でも鰻が獲れなくなってからは、近所の養鰻屋が料理した奴を買った。
養殖と言っても、育てるのは自然の環境。
家の前のせせらぎにも放流していた。
なぁに、上下を竹網で堰いているので、逃げられやしない。
そして、ときどき獲りに来る養鰻屋のおやじ。
まあ、近所でもあるので顔なじみ。
だから、養殖鰻を売るのが商売なのに、そっと少しだけ蒸籠蒸しなどを作って頒けてくれる。
もちろん頒価はある。
柳川には鰻屋が多い。
この養鰻屋が卸している店も多かった。
ここの鰻は、よく運動していて肉付きがよく、旨い。
生命を食べている感じだ。
宇宙のエネルギーのダイナミクスというか循環を感じる。
帰省するとここの鰻を取ってくれていたものだが、数年前から出ない。
催促すると、あそこ、もう鰻養殖やめた、と。
鰻屋のおやじも年を取ったので。
そうさなぁ、あのおやじがおっさんのころ子どもだった俺もこの歳だ(笑)
生簀で育った鰻は元気だろうか?
脂は乗っているんだろうなぁ。
それが今好みの味なのだろう。
いつか行った椎葉の手前の村で、山道発破中の休憩に食べた鰻は、痩せていて脂も少なかったが、気鋭の迫力を感じ、旅程を全うする精力を貰った。
今は、鰻は数年に一度も口にしない。
もう5年は食べていないような気がする。
考えてみりゃあ、今さら精力をつけてどうする?(笑)
俺ぁ、これからは山菜、路傍の草花で、積年のねっとりとした脂を抜き、さっぱり静かに朽ち果て土になろうよ