秋山幸二さんのこと&ワンダー×ワンダー「北京パリ 大陸横断レース」 ♪ [テレビ]
昨夜、寛平師匠のゴールは残念ながら見逃してしまいましたが、今夜は、NHKの番組 ワンダー×ワンダーで、とても面白く、かつ感動溢れるドキュメントを鑑賞することができました。
私は、最近はあまり車を運転しなくなって、歩きや走り中心の生活になっています。
車を運転する距離は、徒歩やランニング距離の10分の1にもなりません。
ですが、8年ほど前までは、湾曲山岳路を中心に月間3000kmほどを車で走り回るワインディングフリークでありました。
ですから、最高最先端の科学技術を駆使したF1を頂点とするレースにはあまり関心はありませんが、衰兆のWRCには関心を無くしてはおりません。
チューニング途中たまたま立ち寄ったNHKで、骨董自動車の長距離レースをやっておったので、ついつい見入ってしまったので御座います。
「100年近く前のクラッシックカーで北京からパリまで大陸を横断。全長1万5千キロ、37日間の大冒険。刻々と移り変わる絶景の中、愛車とともに未知の大地を駆け抜ける。」ということなのですが、
取材のフォーカスは、参加車中最古の、100年以上前に製造されたイタリア車を駆って出場した修理工(専門家)と奥様、英国の主婦二人組、唯一二輪車で参加した60歳の男性の3組に主として置かれていました。
人間は信じられる、そんな温かい気持になれる番組でした。
我々も、家族や友達、恋人ばかりではなく、善き隣人、見知らぬ通りすがり、善きエトランゼも愛しましょう
昔、熊本八代で車が故障した時、現福岡ソフトバンクホークス監督の秋山幸二さんのお母様に助けていただいたことを思い出しました。
福岡の整備工場やJAFに連絡を取るため、現場近くの秋山家のお電話をお借りしたのですが、傍でその内容を聞かれていて、当時高校生であった秋山幸二さんの帰宅を待って、家族総出で知り合いの整備工場まで押していっていただきました。
休日で閉まっていた工場はあらかじめお母様が連絡を取って開けていただいていました。
相当の重傷で交換部品も多く、修理代は相当のものになったはずですが、部品代の実費のみでよいと。
当日持ち合わせがなかったので(1万円以上のお金は持ち歩かない♪)、その日はそのまま帰らせていただいたのです。
通りすがりの見知らぬエトランゼに対して、信じられないことでしょ?
そんな雰囲気の詰まった、かつ、能天気も詰まったNHK番組でしたが、何回も涙したのも事実です。
☆2021年9月7日追記
この出来事は確か10月10日、体育の日だったと記憶しています。
秋山幸二氏は当時高校三年生だったので、1980年の出来事だったと思います。当然、高校生の秋山氏はそれほど有名ではなく、ただの真面目な高校生だと認識していました。立て替えて貰ったお金は翌日(翌日もお休みでした。日曜日。)お返しに行きました。お土産(大川産の志岐蒲鉾。高級品ではあります。)は持って行きましたが、お金は実費だけをお返ししたように記憶しています。
お世話になったお母さんのお名前はスミエさんだったように記憶していますが、それから長い間、年賀状のやり取りをしましたが、1981年の年賀状には秋山氏の西武入団のこと、1982年の年賀状にはアメリカ留学のことが書かれていました。その後、息子さんの話題は出てきませんでしたので、なかなか簡単にはいかないよね、と思っていました。プロ野球で秋山選手が活躍されていても、同一人物だとはつゆも思っていませんでした。あるとき、西部の秋山選手が八代出身と聞いて、ここで、ことの真相に気付いた次第です。