倉木麻衣師の公演中止と被災者支援のありかた [倉木麻衣]
私は、大地震発生後の3月11日の時点で、即座に多くの行事のキャンセルが報じられていた中、翌日の3月12日の倉木麻衣師の和光市民文化センター公演の中止が決定されていないことを不思議に思いました。
翌朝、和光公演の中止or延期(その時点では)が発表されました。
その理由は、会館備品の落下・破損等が発生し、安全確認に時間がかかるから、という理由でしたが、それは公演を楽しみにしていたファンの方々の心情を慮(おもんばか)ってのこと。発表が翌日になったのもそういうことだと思います。
で、本当は、被災された方々や亡くなった方々のこと、ますます被害が拡大しつつある非常時であること配慮して公演中止を、もっともっと早い時点でお決めになっていたのだと思います。
そういうことだったのですね。
東京国際フォーラム追加公演中止については、発表が遅くなり、非難する人々も見られました。そんな方々のお気持もわかります。
しかし、倉木麻衣師サイドでは、そういう非難が出ることも承知しながらも、やはりファンの方々のお気持を慮りつつ、敢えて事態の推移を我慢強く見守っておられたのだと思います。
なにしろ、チケットは発送済み、届いていないと状態であったでしょうから。
さて、私は、和光市民文化センター公演の中止が決定された時点で、「チケット購入者が払い戻し手続きをとらず、Mai-K.netがその額+アルファを義捐金に拠出するという手があったのではないかと。それは粋だよね、と。」と書きましたが、それはあくまで、心意気、というか、気持のことです。
チケット購入者が払い戻しの手続きを取らず、結果的に多くのお金がMai-K.netに残った場合、どうなされるか。
そこへのルールは何も無いが、Mai-K.netとして、なんらかの有効な利用を考えられればよい、とそんな感じです。
Mai-K.netのサイトを見ますと、
「中止公演の払い戻しを義援金にというご要望に関してですが、Mai-K.netならびに倉木麻衣を窓口に行なうことはできかねます」という告知が出ておりました。
そういう要望を出された方が沢山おられたのですね。
それも、心意気、気持であります。
それを正規に義捐金として、Mai-K.netを窓口に行うことが難しい、という「気持」はわかります。
この時期にパフォマンス(無論、なさったアーティストにはそんなおつもりは全くなく、一刻も早く純粋に支援したいという居ても立ってもいられない、そんなお気持ちです。また、そのことにより多くの皆さんに支援の環が広がるということもあります。)のようで、それは逆に犠牲者や被害者の方々を蹂躙するような気持にもなるでしょう。
そんなことは決してないのだけれど、それは慎ましやかなお人柄だと思います。
倉木麻衣師がなさるとすれば、それは自身の財源で、人に知られないようにそっとなされることでしょう。
きっと、もうなされていると思います。間違いなく。
そして、チケット代は返金するので、倉木麻衣師のファンであるならば、その人自身がそれを送ってほしいというお気持なのですね。
そして、皆さんの義捐金は、チケットの払い戻し金くらいでよしとする、そんなものではない、と堅く信じておられるのだと思います。
私は、同じ10万円を寄附するのなら、Mai-K.netを通じてと思っていましたが、やはりここは、ご指示のとおり 日本赤十字社 http://www.jrc.or.jp/ から行ったほうが、時間的にも手間的にもずっと効率的だと思われるので、そうしたいと思います。
倉木麻衣師を通じて行うのは、要らぬ手間暇がかかり、救援に遅れが生じる虞があります。
停電が平気だった頃・・・ [妄言妄語]
私の子どもの頃は、電話も冷蔵庫も蓄音機も洗濯機も扇風機も無く、当然テレビも無く、電気製品と言えば電燈とラヂオだけでした。
洗濯は、「たらい」と洗濯板。
水は井戸。室内の土間に井戸がありました。
トイレは、直下汲み取り式(実家は今でもそうです。当然、今もエアコンはありません。)
肥料は、堆肥。
ガスもなくて、炊飯は「くど」に「ハガマ」をかけて、麦わらをくべて焚きます。
風呂は、燃料が薪から、やがて石炭になりました。湯加減は、自分で燃料をくべて調節します。
風呂桶の中を釜(中で燃えているむき出しの鋼管)が通り、これに触れると火傷しそうです。
自動車も、ミゼットを時折見かけるくらいで、四輪はボンネットバスくらいしか見かけません。
自転車も贅沢品、物の輸送は馬車でした。馬糞がよく落ちていました。
台風で水が家の中にあふれましたが、土間に穴をうがって地面に吸わせていました。
土間と畳の間には50cmほどの床下があり、それを越える洪水はあまりありませんでした。
台風で1週間くらいしょっちゅう停電していましたが、電化製品があまりないので、夜にろうそくを灯すだけで、特に不便はありませんでした。
やがて、親類からテレビを貰い、洗濯機をもらい、電気蓄音機(手動蓄音機からステップアップ)をもらい、なんと冷蔵庫をもらい、生活が変ってきました。
そして今は、すっかり電化されて、私は堕落しました。
体も弱くなりました。
本も読まなくなりました。
このパソコンも、実は電気で動いています。