日野原重明先生のご逝去を悼み・・・☆ [本源]
本日、平成29年7月18日(火)午前6時33分、日野原重明先生が御逝去なさいました。
お昼休みにヤフーのニュースを見て、仰天いたしました。
心より、日野原重明先生のご冥福をお祈りいたします。
詳しくは書けませんが、30数年前、勤務先で総務にいた私は、社外の専門家も含む会議で最低年に1回来社される日野原先生と接する機会が数年間ありました。
また、その数年後にも。
当然ながら、個人的な会話は有る筈がありません。
そのうち、1~2回、当時当地に勤務されていた福井先生が愛車で日野原先生の空港送迎をしていただいたこともあるように記憶しています(その年以外は、総務課長が随行して社用車で送迎)。
送りは、会議後の懇親会の後ですが、閉宴まで別室で待機いただいていました。
日野原先生と福井先生は、とても良い師弟関係にあるように感じられ、人前での会話は少なかったように記憶していますが、車中ではいろんなお話をなさっていたのではないかと、当時想像していました。。
実は、ひと月ほど前、何故だかふと日野原先生のことを思い出し、ネットで検索し、いろんな新しい情報を得ました。
その一つに、俯せで寝るという先生の寝方がありました。
適した枕や、胴体の下の敷物のこと、脚の配置など、大いに参考にさせていただきました。
適した枕を未だ購入しておらず、きちんとは実践できていませんが、いずれは、と思っています。
ご逝去に伴い、喪失感と淋しさは感じています(日野原先生が地球で活動されているというのは、万人にとって希望であり、生きる励みであったと思います。)が、、〇〇ロスとか言って落ち込んでいるわけではありません。
報道によれば、福井先生が胃瘻、経管栄養をご提案なされたが、日野原先生はこれに応ぜず、自然な経口摂食を続けることを選択されたとのこと。
『経管栄養を拒否した理由について福井院長は「人工的で、自然な人生の終え方ではないと考えていたのではないか」と推し量る。』(毎日新聞より部分的に引用)
『今月14日に言葉を介した意思の疎通が困難になった。17日に福井院長が耳元で「何かつらいことはありませんか」と尋ねると、強く顔を横に振ったという。「日野原先生は常々『死は生き方の最後の挑戦』『命に感謝して死んでいけたらどんなにいいだろう』と話していた。望ましい人の生き方を実践して生を終えたのではないか」。福井院長は振り返った。』(毎日新聞より部分引用)。
先ず以て、福井先生と日野原先生の強い絆、信頼関係を感じます。
また、生まれた生き物が命を終えるのは自然なプロセス:我々が死ぬのは当然で、現生に執着し過ぎることなく(かと言って、生き急がず死に急がず)淡々と(決して喜々としてではないが)、自然体で生物の進行過程を歩みましょう、という前向きの気持ちにもなるのです。