義理と人情を秤にかけりゃ 義理が重たい と言いますが [ライブ情報]
義理と人情を 秤にかけりゃ. 義理が重たい 男の世界
と鶴田先生は唄いますが、背中に唐獅子牡丹はない身ではいかがなものか?
倉木麻衣さんには、精神的に辛い時期に救われている私です。
精神的に相当にタフになることもできたと思っています。
倉木麻衣さんの力で、大げさには言えば肉体改造的なことも達成できました。
体型的にも、単にぜい肉を削ぎ落としただけではなく、メリハリのある身体になったように思います。
ご本人は知らぬことなれど、たぶん、私の人生における最大の恩人なのではないかと思っています。
そういう意味で、倉木麻衣「師」とお呼びすることが多いのですが、最近、私の感じ方も変わってまいりました。
倉木麻衣さん御自身に啓発され導かれることが少なくなった、いや、ほとんどない。
歌声はとても(排他独占的に)好きなので、CDは買い続けるが、御自身に惹かれることがあまりない。
されど、ライブの案内が届けば、日程的に可能であれば、行く行かないは別として、申し込んでしまいます。
ライブが九州で開催されることもなくなったので、実際に行くことはほとんどなくなりましたが、いまでもたまにFC枠でチケットを申し込んでしまうのです。
それは昔の恩に多少でも報いたいと思う義理人情でありました。
そして、それは「人情」的要素から「義理」的要素に移行しつつある。
カウントダウンライブは、行かねば、という「義理」的な思いより、私が行って面白い催しでもないから行きたくないという「情」が勝り、行かなくなった。近場でもないし。
通常のライブも遠方でしかないし、行かねば、という「義理」の気持も薄れて来た。
そんなことで、ライブは2008年大晦日のCDLを最後に、行かなくなりました。
そんな中、今年のハロウィンライブの日程と場所が変ったことで、多くのファンの皆さんの不興を買う事態が発生いたしました。
さんざん悪態を吐(つ)かれて、可愛そうだな、と感じました。
また、日程が変ったことで、私も参加が可能になりました。
そんなことから、魔が差したというのか、いや、義理と義侠心から、ついついチケットを申し込んでしまいました。
しかしながら、開催日が近づいてまいりますと、これがまた、「行きたくない」思いが強くなってくる。
義理と人情では、人情が勝ってくる。
葬儀の場合は、義理が勝って、仕事を休んででも行くのですが、ライブだと、行くこと自体に奢侈の罪の意識があるものだから、義理は極めて弱くなる。
義理が廃ればこの世は闇だ
と、村田先生は唄います。
さて、私はいったい・・・
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