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交通事情今昔 その1♪ [交通安全・マナー]

昔、出勤途上、雪の農道を走行中、田んぼに落ちている車に遭遇しました。

停車して近づくと、ドライバーは途方に暮れるというのか、呆然として突っ立っていました(立ち尽くす。)。

誰に連絡していいかもわからないほど混乱、呆然自失。

一緒に車を押し上げようとしましたが、二人では当然無理。

それで、私は、通りかかる車に応援してもらおうと思いました。

自分が当事者だったらそんなことはしないと思いますが、応援者としては厚かましく何でもやろうと。

そうすると、通る車がことごとく停まってくれて(良いご時世であった。)、ごく短時間で人手がそろい、落ちた車を路上に押し上げることができました。

車は、目だった損傷も無く、立ち去ることができました。

応援した人たちも充実感、達成感、連帯感に満たされました。

当然ですが、職場には30分くらい遅刻して、上司からだいぶん絞られました。



昭和の昔は、長閑というか、おおらかで、通勤途中に通りすがりの見知らぬ他人をよく乗せていました。

或る時は、出勤中、沿道の住人らしき母子で、駅に行きたいと悲壮な様子。

経路を若干変更して送って行った記憶があります。この時は遅効していない。

或る時は、土曜半ドンで帰宅中、交通量の多い環状バイパスでヒッチハイカーらしき薄汚れた青年を乗せました。食堂に行きたいと言うので、近くの王将で下ろしました。

この時は、帰路変更は全く無し。



事故発生の瞬間にも何回か遭遇しました。

六五郎橋を城島側に渡っていると、渡り切る直前に(筑後川の城島側河岸道との交差点直前)、前方を直進していた二輪車が強引右折する対向車に撥ねられ、人が宙高く舞い上がりました。

ドスンと落ちたわけですが、落ちた本人(不当に撥ねられた被害者)は、大丈夫と言っていたので、119と110は控えました。

しかし、撥ねた車も立ち去ろうとしたので、怪我があった場合、ひき逃げになるが?と指摘(アドバイス)してあげ、救急通報(警察には消防署から連絡)と被害者救済を勧告。

被害者には、今は大丈夫そうでも後で痛みや傷みが出ることも多いので、と病院受診を勧めました。

私自身、それまで何度も自転車で車に撥ねられ(怪我をしても)、110や119に通報したことは無かったので、あまり厳格ではありませんでした。

一度など、JR伊賀屋駅近くの南北の通り(本通り)を自転車通行中に側道から一時停止無しに出てきた車に離れた際は、たまたま通りかかった白バイが口を出し、自転車の修理代を請求したい私の前でその来るをリリースし、「怪我もしてないのに、こんなことで騒ぐな!」と私が叱られました。自転車は後輪のリムが歪んでいたのに。世の中とは社会正義も存在せず、こんな理不尽なことに満ち満ちていることを改めて知りました。

警察を恨む、ということは露ほどもなく、これが世の中、とスッキリと納得してしまったことを覚えています。



私が跳ねられて、一回だけ補償金をいただいたことがあります(つまり、それ以外はひき逃げ、当て逃げ)。

幹線道路の左路肩を自転車で漕行中、対向する自動車が枝道(信号無し)に向けて右折し、私の自転車に衝突したものです。

私の体には直接当たっていませんが、衝突した自転車が自動車に急激に止められたことにより、慣性の法則も作用し、私の体は宙に跳びました。

走り高跳びのような感じで、水平に推進していた力が水平方向を遮断したことにより上方に推進したのです。

予期してなかった大跳躍だったため転落時の受け身が十分でなく(柔道よりラグビーの経験が役立ったような)、手の平ではなく肘からアスファルト路面に落ちました。

路肩より幾分中央よりに落ちましたが、後続の車が止まってくれたので、二次的に轢かれずに済みましたが、右手の手首から肘にかけて打撲的に擦過、出血し、シャツの袖部が裂けました。

黒塗りの高級車から数名の怖そうな男の人が下りてきて、自転車もろとも事務所に連れていかれました。

殺されるのかな、と怯えていたら、シャツ代として2000円をいただきました。

自転車は、ぶつかった部分がサイドケース部分で、漕行に支障はなかろう、ということでした(後刻、素手で曲がりを直した。)。

骨折はなく、単なる擦り傷の出血ということで、生活に支障はなかろう、ということでした(後日、痛みが引いたので、奇跡的に骨折は無かったと思われる。)。

私として、2000円でシャツ代としてはお釣りがくるほどで、バンテープも買えますし、無事に帰してもらえれば文句はありません。

このように、反社会的組織のほうが、対応がまともだったりするのは何故でしょう?

指定暴力団でもなければ官憲にそれほどビクつくこともないはずなのに?

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