バイエルン・ミュンヘン、22度目のリーグ優勝と聞き・・・ [ア式蹴球]
ソネットのニュースを見ていたら、「バイエルン・ミュンヘンがヘルタ・ベルリンを3-1で下し、22度目のリーグ優勝」とありました。
ブンデスリーガの話です。
今は、海外のフットボールは、リーガ・エスパニョーラやらセリエ・アーやらが耳目を集めるところではありますが、手前どもの若かりしころは、フースバルといえばブンデスリーガかイングランドリーグ(当時はプレミアリーグカテゴリーはなかった。)が関心の的。
バイエルン・ミュンヘンは、宿敵(笑)。
当時(いつ?)、ゼップ・マイヤー、ゲオルグ・シュワルツェンベック、パウル・ブライトナー、ウリ・ヘーネス、フランツ・ベッケンバウアー、ゲルト・ミュラーなどなど、伝説的プレイヤーが沢山おりました。
素朴で、脚が短くて太い(股下&大腿囲=68cm)爆撃機。
狼男。
皇帝。
どこが優れているのかわからないけど、失点しないマイヤーは、冗談っぽい不思議なGK。
シュワルツェンベックの圧倒的体力。
総合力に優れているのは一目瞭然。
のちに、ルンメニッゲとかいう若手も出てきて。
監督はラテックね。
でも、手前は、ボルシア・メンヘングラッドバッハが贔屓のクラブでした。
何と言っても、火の玉小僧・ゲルマン魂の権化・いぶし銀の守り・突貫小僧、ベルティ・フォクツが好きでした。
ワールドカップ西ドイツ大会決勝は忘れられないゲームです。
フォクツが30mくらい跳んできて(そんなふうに感じた。)タックルしたのがファウルを取られてPK、そして失点。
しかし、これは、西ドイツチームを引き立てるためのお膳立てに過ぎないと、後で思えるようなゲーム展開。この後のフォクツは完璧にクライフを押さえ込む。
閑話休題、当時のボルシアMGには、ユップ・ハインケス、ライナー・ボンホフ、ヴォルフガング・クレフなどがいたっけ?
監督はバイスバイラーね。
その一寸前にはネッツァがいたけど、スペインに行っちまった。
あとでシュティーリケが出てきたっけ?
当時は、バイエルン・ミュンヘンと毎年熾烈な優勝争いを繰り広げ、2年に1回はリーグ制覇を果たしていましたが、今は昔年の面影はないようで・・・
選手層からすれば、バイエルン・ミュンヘンは、日本職業野球で言えば、読売巨人社のような感じで、応援できなかったですね。
ちなみに、手前は、日本職業野球は、ヤクルトが好きでした。しばらく、ヤクルトおばちゃんをやっていたので。ヤクルトニュース(宅配飲料業のほう)に松岡さんとか安田さんとか若松さんとか武上さんだとかの記事が載ってくるので。
もういちど閑話休題、さように当時、バイエルン・ミュンヘンは敵対感情をもったクラブでしたが、ナシュナルチームレベルでは、同クラブの選手は好きに転じます。
ブンデスリーガと言えば、ウベ・ゼーラーやオベラートもよかったですね。
あと、カール・ハインツ・シュネリンガーとか♪
ベッケンバウアーの奥様は、当時はブリギッテさんだったかしら?
そのように、西ドイツ時代のことを思い出してしまった夕べであります。
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