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中学校での事件のこと 先生と教育委員会 [悲惨な結果・・・]

言わずと知れたいじめ(戦略的虐殺)と、そのもみ消しの件ですが・・・

この大津市立皇子山中学校の先生方も、大津市教育委員会の先生方も、亡くなった児童の痛みがお分かりにならないようです。

強襲殺人よりも格段に惨(むご)い、超弩級に酷(むご)い虐殺です。

通常の殺人は身体にダメージを与えて命を奪うものですが、いじめによる自殺は、まず心を殺し、伴って身体を殺す。

心を殺されるプロセスが惨すぎる。

たとえば、金銭目当ての無慈悲で残虐な謀殺が懲役2年であるならば、このいじめによる長期虐殺は懲役108年に相当することでしょう。

そして、いじめの潮流を、まるで助長、いや推奨するかにさえ見えるこの中学校の先生方や、市の教育委員会の先生方はそれと同等の道義的責任は免れないことでしょう。

現生で埋めそこなった徳の負債は、来世(生かどうかは判らない。)で帳尻を合わされますから、死後の大いなる覚悟が必要です。

ちなみに、この中学校の「ストップいじめアクションプラン」はけっこうよくできています。

教職員のアクションとして、「SOSへの的確な対応」や「訴えに対する真摯な対応」なども謳われております。

結局だれもこのとおりに動かなかったわけですが、他の学校では、他山の石としていただきたいものです。

この学校の場合、事後のもみ消し、現在進行中の口止め等、過去に例を見ない組織的隠ぺい活動が展開されているようですが、教育委員会としては、隠ぺい工作がここまで堂々と展開されることは想定外だったかもしれません。

学校からは口止めされたけれど、(人として、また道義的に)話さないわけにはいかないと言ってインタビューに応じる子どもたちは、先生に比べて格段に「人」であり、立派だと思いました。

負うた子に教えられ浅瀬を渡って欲しいところですが、もはや教え子を背負ってもいないし、渡るべきは浅瀬でもない。

市長さんの涙の決意を信じたいです、せめてもの救いとして。

また、近隣の大阪市長さんの涙は、慟哭にさえ近いものがあり、感動しました。彼の管轄でも責任でもないが、自治体の首長として、いや、大人として、この悲惨すぎる事態を防げなかったことを悔やんでおられるようであり、人として尊敬できるし、こちら側の人であったのだということを再認識させていただきました。

 

警察のこともいろいろ言われていますが、(よくないことであって、決して容認するものではありませんが)警察はこんなことが多く、稀に見るひどい対応ということでもないようです。

犯罪が多すぎて忙しすぎるのが、警察のこういう対応を生んでいると思われますので、増員も検討すべきかもしれません。

親類には、警察官も教員も自衛官も役人もいますが、ざっくり言えば、

自衛官>警察官>役人=教員 という感じです。何がかな?(酒癖?)

自衛官は、人を助ける、人のために働く、という使命感が非常に強い感じです。

消防官は親類にいませんが、きっとそういう意識が高いでしょうね。


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大阪府池田市在住の女性

私は、1970年2月生まれで、大阪府池田市在住です。

私は、 池田市立細河中学校に通っていた時、 小柄だというだけで 、担任の江藤ますみと、複数の部落民である北古江(地名)の奴らに、いじめられていました。

江藤ますみからのいじめは、毎月、席替えがあったのですが、私だけが、教卓の前の席と、決められていて、席替えに、参加させてもらえませんでした。

部落民の奴らからは、毎日、「 小児麻痺 」と言われ続け、筆箱を、何回もつぶされたり、 いじめられていました。

私は、小柄ですが、勿論、小児麻痺ではなく、身体にも知的にもなんの障害もありませんし、私の母も、障害児を産む様な、卑劣で冷酷な女性ではありません。

担任の 江藤ますみも、 部落民の奴らに 遠慮し、「 小柄なあんたが 悪い 」と言い、全く 、注意もしてくれませんでした。

部落差別とかいうけど、池田市は、全く逆です。

今思えば、私の筆箱をつぶした部落民の奴らを、器物破損罪で、刑事告訴して、少年院にぶち込んでいればよかったと、後悔しています。

私を、いじめた部落の奴らと、席替え差別をして 私を、いじめた部落の奴らを、全く注意をしなかった、江藤ますみを、一生許せない。

私は、部落民の奴らにいじめられた為、埼玉県狭山市で、女子高生を誘拐して殺した、人殺しの部落民の石川一雄を、一生、真犯人だと、信じることにしました。

私は、一生、部落民を嫌うことで、復讐する。
by 大阪府池田市在住の女性 (2012-07-08 00:49) 

oosumidream

◎大阪府池田市在住の女性さん♪
コメントありがとうございます。
皆が相手の立場や気持ちを本当に理解するようになればいじめも無くなると思いますが、それはなかなか難しいのかもしれません。
また、相手の立場や気持ちを慮って行動することで、今生の我が身が辛くなることもしばしばです。
そんな時、来世を信じ、囚われぬ心を持つよう努めたいと思っています。
今生のなにかしそこかしこに拘泥執しすぎると旅立ちがうまくゆかぬこともあるからです。これもまた、なかなか難しいことです。
今、私は、ヒト、モノ、カネへの執着がかなり薄れてきていますが、なぜか生きること、健康であることに強く執着しているようで、これは自己撞着かと反省する気持ちもあります。
葉隠の死は、日々死の覚悟であって、死への渇望ではないと観ぜるところです。
by oosumidream (2012-07-08 17:38) 

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