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お彼岸の 日帰り帰省♪ [暮らし]

お彼岸に入りましたので、本日9月21日(月・祝)、日帰り帰省してまいりました。

本来ならば墓参いたすべきところでありますが、諸般の事情により仏壇に線香をあげ掌を合わせるに留めさせていただきました。

実際のところは、年に1,2回、顔を出して互いの無事を確かめ合うという意趣もございまして、それは達成されたわけでございます。

朝9時に出ました。11時前には楽々着く筈でした。

今日は手土産を持参しよう、友人分も実家に預けて渡してもらおう(時々実家にトラクター等で来て、色々やって呉れて居るやうで)と。手土産は、昨日買わなかったので、今日、高速のSAで買おう、と。

先ず、大村湾PAに立ち寄ると、車が多い。

駐車スペースが無い。

暫し待って、やうやうに停めて、店内に入ると、元旦の太宰府天満宮のやうな人込み。

立錐の余地もないSAお土産屋!

それも、道路始点から上り一個目のSA.

店内で聞こえる声は日本語ではなかった。

大勢のお客さんが、沢山の商品を手にレジを目指す態。

戦意喪失。

この地で私に買い物ができる筈が無い。

早期の作戦変更。

トイレにも行かず早々に退散し、次の戦地を目指す。

川登SAです。

急いで駆け付けたので、ここはまだ大村湾ほどの混雑はなく、少しは並んで待ちましたが、ほどなく土産物を獲得!

びわゼリーです。

これなら、SAで買ったとしても許される筈♪

さて、高速が混むので、武雄北方ICで降りました。

そして、知っている筈なのに、何故かここでも逆方向、つまり、長崎方向に向けて走ってしまいました。

かつて、日帰り鹿児島ドライブでは、市来に向かっているつもりで枕崎に向かったり、日帰り山陰ドライブでは、太田に向かっているつもりで出雲に向かっていたのでした。

いずれも、海が反対側にあったので気付きました。

今日は、JR軌道が反対側にあるのと、影が逆っぽいので疑問を持ちました。気が付くから偉いっ!と言ってよいのか、そもそも何で間違えるかと呆れるべきか。

そして、牛津から諸冨までの道程が、私の記憶ではとても短いショートカットルートとして記憶されていたのですが、それは、20数年の歳月が仕組んだ記憶の幻惑。

実際久々に走ってみると、ああ、あの分岐点に至るにはこういう行程もあったなぁ、と言うところが多々あり、実際は記憶の3倍くらいの距離がありました。

さらにまた、下道(したみち)も高速と変わらぬ程度に混んでおり、結局、相当に時間がかかり、到着は予定より30分以上遅れてしまいました。

実家に着いて暫くして落ち着いてみると、過去、所々で顔を出していた野性的で精悍な猫の姿が見えません。

訊いてみると、流行(はや)り病で呆気(あっけ)無く逝ってしまったとのこと。

病死するとは思えない態の猫でしたが、いきものの命とは実(げ)に儚(はかな)いものでございますね。

家人はさぞや悲嘆に暮れたことでありましょう。

淡々と話してはいましたが。

猫は、よく、身代わりに成って呉れると言われます。

私の生死と関わりのあることであったのでしょうか。

否、時期がずれております。

否、宇宙の裏はわかりません。

また、今日は敬老の日だったので、欠席した母の手元に本日の式典の資料等が届きました。

凄いもので、この町の最年長者は100歳を何歳か超えておられます。

そして100歳以上はお一人ではない。

90代に至っては数え切れないほどいらっしゃいます。

そういう資料を見ながら、母と、老人ホーム四方山話で盛り上がりました。

△△さんは、月〇〇万円払って入所しておられる。

お一人そんなに払って、職員の給料は※※万円で、入所者と職員の数を考えると、相当(莫大)の金額乖離があり、それはどこに行っているのでせう?

帰りは、中原交差点から諸冨橋まで大渋滞でした。

諸冨橋を渡り切ると、渋滞は終わっています。両県警所轄署の信号機合調が交通ダム効果を発揮しているのです。

県境が信号機の調整により大渋滞(移動速度を抑える)することで、両県隣接市街地の渋滞は防がれているのです。

と言いたいんですが、南向きの流れにとっては適切な信号タイミングで、北向きの流れにとっては堰き止め効果のタイミングでした。

午前は逆の渋滞が発生するのでしょう。

帰りの高速は、ほとんど混んでいませんでした。


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