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お引越し、終了♪ [暮らし]

長い住所不定が終わり、沖縄は那覇に居を構えました。

思えば、3月26日に荷物を送り出し、自分は着の身着のまま状態で過ごし、4月3日に飛びました。

沖縄についてからも、4月6日までは仮寝の宿暮らしで、やっと6日に別の場所で管理人さんから鍵を受け取り、夕刻、社宅に入りました。

旧勤務箇所でも、新任地でも、暮らしが落ち着かない中での仕事というものはなかなか大変で、体も心も休まるときはありません。

もちろん、こんな比ではありませんが、避難中の被災者の皆様の不便さと心細さが偲ばれます。

6日当日は、クロネコさんからの引越し荷物の搬入のほか、電気・ガス・水道の開通申請、作業立会いがあり、荷解きにはいたりませんでした。

また、引越し荷物の中に、テーブルの組み立て部品が入っていなくて、調べた結果、佐賀の引越し屋さんに残されていました。

困ったものです。本体ごと置いてきたほうがよかったと思いました。

今、居間の隅に、接合部品を除く全てのパーツが積み重ねられています。

ネットは、旧住所では ヒレッツひかり でしたが、こちらではマンションタイプではなくファミリータイプのため工事が必要で、住居管理者の許可をいただかなくてはなりません。

訊いてみたら、申請手続きも面倒で、許可が下りるのにも相当期間がかかるということでしたので、普通のADSLにしました。

暮らしもネットも、ゆっくりと♪

モデムも届いてネットは繋がりましたが、PCのパーツが荷物のどこに入っているかわからず、遂に見つかりません。どこに散逸したのやら。

というわけで、イオン南風原店のベスト電器まで買出しに出かけました。

往きは歩きでしたが、テーブル代わりのデスクなども買ったため、帰りはタクシーにしました。

車は弟にあげましたので、車は無いのです。

ちなみに、あげた車は、「魂すぺⅡ」つまり"インプレッサSTi RA-R" で、支払額500万円でした。

こうして、弟は、二台の改造車を管理することになりました。

 

さて、このようにして、完了はしていませんが、なんとか住めるようになり、またネットもつながりPCも使えるようになりました。

住民登録(転入)と印鑑登録、地銀への口座開設、免許証の住所書き換えも住みました。Mai-K.net online fanclub の住所変更も済ませました。あと、何があったっけ?

これから、少しずつ、より快適な暮らしに向けていろいろと揃えていきたいと思います。

 

これからの仕事は大きな課題、喫緊かつ重大な案件が待っていますが、暮らしに関しては、沖縄は、そして、特にここ(那覇の住まいの付近)は、いままで暮らした中で、一番快適な場所のように思えます。なにより、女性が綺麗です♪

 

倉木麻衣さんのライブに行くためには、飛行機搭乗が必須となりましたが、これからはもっと意欲的に参加していきたいと思います。

沖縄の土壌が風土が気候が人情が、きっと私をよりアクティブに変えてくれるはず☆

<後年後記>
長き年月が経過したのちに、沖縄に向けて佐賀を立った日の記憶を追記しておき
ます。

赴任先の事務方トップの方の御配慮で、赴任は(2011年)4月4日(月)の週でよい(宿舎補修に伴い入居可能日が遅れるため)ことになったため、4月3日(日)に飛んで、4月4日(月)に赴任(初出勤)することにさせていただいたのです。

 当日の朝、佐賀駅バスセンターから福岡空港行きの高速バスに乗車したのですが、国道263号線が34号線をくぐるあたりから、舗道には運動着姿の人々が目立ってきました。そう、この日は、2011さが桜マラソンの開催日でありました。

 自宅あるいは宿泊先からスタート地点(佐賀県総合運動場北側)に移動中なのです。バスの窓外からその光景を眺めながら、嗚呼、自分は大変な(ある意味、慌ただしく悲惨でさえある)状況なのに、世間はなんて長閑なのだろう、と、自分勝手な感慨を覚えていました。ちょっとした切なさもありました。

 この時の情景は10年経っても忘れられません(ここから、福岡空港への道中、搭乗手続き、福岡から那覇への機内のこと、那覇空港に到着して任地へ向かう道中は、全く記憶が消えています。)。

 勤務先に到着し、休日勤務者に宿泊施設の道筋を訊くところから記憶は蘇ります。

 4月初頭にも拘わらず、沖縄は汗ばむ陽気でした。宿泊施設で普段着に着替え、近隣の様子見の散歩に出かけたのですが、本当に相当の汗をかき、早くも常夏、沖縄の熱き(暑き)洗礼を受けたのです。 


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